絶対などない

~アンチジャニーズがKAT-TUN沼にはまって15年たちました&ときどき趣味のブログ~

3、そして元アンチジャニーズだった私がKAT-TUNを好きになって思うこと

これで10年の振り返りは終わる予定です。
ここを書くためのこれまでだったと思うのですが、後半なんか妙にカタくなっちゃって論文みたい(;゜∀゜)
(普段アホなことしかツイートしないのに…)

そういうのが苦手じゃない方はお付き合い頂ければ幸いです(*´-`)



4人での最後のKAT-TUNにしんみりする時間もあまりないまま、その翌週からは名古屋ドームを皮切りに充電前最後のドームツアーが始まった。

いったいどんなテンションになるのかと思っていた初日名古屋では、もっとエモーショナルな演出をしたってよかったのかもしれないけどあえてそうはせず、明るく楽しい時間になるように工夫されているのが彼ららしいなと思い、思いっきり楽しんで笑った。
でもやっぱり、3人があらかじめ考えたのでなくその時の自分の心から取り出して言葉にしているような、考え考え噛み締めながら話す最後の挨拶の場面では、すぐ取り出せるようにとハンカチをしまった場所を忘れてしまうほど涙してしまった。

3人の姿は、その日の公演が終わるまであの広いドームに3人以外のバックダンサーやジャニーズJr.がいなかったことも終わるまで意識しなかった、というか実は気付かなかったくらい完璧で、3人のファンへの思いが随所に散りばめられた公演だったと思う。
ただ、このツアーは新しい3人の形を見せるためのものではなくて、6人の、5人の、4人のKAT-TUNを振り返り見せるというかファンと共有するためのものなんだな、という風に感じた。
ともかく彼らの姿を見て、来てよかった、やっぱりKAT-TUNを好きで良かったと思った。

その後大阪を経て最後の東京3daysまであっという間。
始まってしまったら終わってしまうから、こんなにもLIVEが楽しみなのにその日が来てほしくないことなんてないと思った。

そしてとうとう迎えた5月1日最終日、始まる前から会場はいつもと違う雰囲気に包まれていた 。
もう何年もなかった始まる前のKAT-TUNコールもそれ以前の公演からちらほらあったものの全体をまとめるには至らなかったのが、この日は全員がきっと同じ気持ちで同じようにKAT-TUNの名前を呼び続けた。

ライブ中も、後悔したくなかったから、ファンも全力だったと思う。
時にしんみりし大いに笑いうっとりしながら悲しくも楽しい時間が過ぎて、挨拶の時になり中丸くんと上田くんの涙を見たら、泣くつもりはなかったのにやはり泣いてしまった。
でもうまく言えないけど名古屋で流した涙とはまた違う涙だった。

亀梨くんが挨拶の中で脱退したメンバーも含め6人の名前を呼び、KAT-TUNはこの6人で始まったグループであり、この6人でなければKAT-TUNはデビューすることもなかったかもしれないし、自分自身皆さんの前にこうして立つこともなかったかもしれない、と言ったとき、この言葉自体はそれ以前の公演でも口にしていたしそうでなくても誰かが似たようなことを言ったこともある気がするけれど、最終日だからこそなのか、この日の言葉が一番私の胸にしみた。

これまで私はメンバーが減るたびにそれ以前のKAT-TUNをなかば封印してきた。
それは単純に見たら悲しかったり複雑な気持ちになるからということもあったけれど、それ以前のKAT-TUNの形を良いものとして認めてしまったら今の彼らを否定することになるような気がして、それが怖かったからそうならないように、なかったことにしようとしていたのかもしれない。
だけど過去のKAT-TUNもまぎれもなくいまこの場に立っている彼らの歩みであり、過去を否定することはその彼らの歩みも否定していたことになるんだな、という、わかっていたつもりになっていたことがようやく実感として胸に落ちた、そんな気持ちだった。

そしてアンコールの連続。
アンコールは愛情表現なんだなって変なことを思った。
普段なら、腰痛持ちの友人も体力のない私もアンコールの間は少しの時間でも休息とばかりにいったん座ってコールや拍手だけはする、というあまりほめられた態度ではなかったけれど、その日は座る気など起きず立ったまま声をからしてアンコールを続けた 。
私から見える範囲でも座っている人は一人もいなかった。

トリプルアンコールに至るまで彼らとファン双方向の愛情がいっぱいに満ちていて、あの広い東京ドーム全体が温かで不思議な一体感に包まれていた。
いままでこんな経験をしたことはなく、思い込みかもしれないけれど、奇跡のような空間にいる、という感覚があった。
最後は中丸くんのおかげで泣きながらも温かな笑いのうちにライブは終了し、悲しいのに満足、という不思議な雰囲気のなか、KAT-TUNは充電期間に入った。

そんなわけで意外にも明るい気持ちだったけれど、日がたつにつれやはり寂しいものは寂しく、私は思い切ってTwitterの世界につながりを求めるようになった。
すると同じファンの人たちと知り合うことができ、交流することが楽しくてもっと早くこうしていればよかったと思った。

なかでもこの一連の脱退や10ksをきっかけにKAT-TUNにハマってくれたいわゆる新規(あまりいい言葉じゃないけど)と呼ばれる人たちの存在にはとても励まされた。
多分私たちには大事件でもファンではない人たちにとってはどうでもいいことだろうと思っていた一連の出来事や彼らの姿を目にとめてくれる人がいて、こんな次にいつ活動があるのかないのかもわからないようなグループを一緒に応援してくれようとしている。
そのことがたまらなくうれしく、苦しかったこの出来事もその意味では無駄ではなかったかもしれないとさえ思えた。

また新規の人たちは初めて触れる過去のKAT-TUNの姿を新鮮な気持ちでとても楽しんでくれていたので、その感想を見聞きすることで私自身もその頃の気持ちが甦って、いままで避けてきてしまった過去と向き合ってみようか、向き合ってみたい、という気持ちになった。

先日、何年振りかで6人時代からの映像を遡ってみた。
ところどころやっぱり胸が痛まないわけではなかったけれど、時が経って眺めれば6人時代も5人時代ももちろん4人時代もそれぞれ本当に本当に素晴らしく、どうしてこれをずっと封印してきてしまったのかと残念な気持ちにもなったし、一方でもう戻らない形を良いと思ってしまうことがやはり悲しい気持ちにもなり複雑でもあった 。

でもとにかく言えることは、脱退したメンバーも含めみんなその時々で本気で良いものを見せようと思っていてくれたことが伝わってきたし、その気持ちに嘘はなかったと改めて思った。
そして起こってしまったことは確かに悲しかったけど、そのたびごとに彼らが自分達に足りなかったものを考え、改善し、もうファンを悲しませることがないようにと努力してくれている姿を、彼らの変化から感じとることができた。
だから、何よりこの歩みを経ていまもKAT-TUNとして存在してくれている3人のことが、改めて大切で大好きなんだと感じた。

彼らと比べるのもおこがましいけれど、私自身も最初この6人がいて、そしてこの色々な出来事があったからこそ、10年以上も沼に浸かり続けているのかもしれないと思う。
もしも彼らがデビューした6人のままで今も順風満帆な芸能生活を送っていたら、私はもっと早い時期にただの「一過性のブーム」が終わって船を下りていたかもしれない。
でも次々に起こる出来事に対して生身の彼らが悩み苦しみながらもそのたび前を向いて、どんどん深みを増し大きくなっていく姿を知ってしまったから、そういう彼らだったからより深く好きになって、10年たったいまも離れられないのだろう 。


KAT-TUNを好きになって初めてライブに行ったとき、例えばグッズ列を整備するスタッフ、グッズ販売のスタッフ、会場スタッフ、機材スタッフ、その他数えきれない数の彼らよりはるかに年上の大人達の多さに圧倒された。
それまでの私はテレビで6人の姿だけを見ていたけれど、実際には彼らは彼らだけで成立している訳ではなく、大袈裟に言えばこれだけ多くの大人達の生活を背負っているとも言えるし、乱暴に言えばこの大きなプロジェクトの歯車のひとつ、商品に過ぎないんだと思い、それはジャニーズに限らずどんなジャンルでも同じだけど、まだハタチそこそこの彼らの背負っている大きな大きな責任に気付いて、彼らに対するただチャラチャラした人たち、という認識を改めた。

そんな彼らが直面した出来事は、傍目にはメンバーが脱退したこと、それだけだったかもしれないけど、実際には表面に表れていないことを含めて、どれほど大変なことだっただろうかと思う。
そんな荒波を乗り越えて目の前に立ち続ける彼らから目を反らすことが出来るわけがなかった。


もちろん大前提として彼らの見た目やパフォーマンスは大きな魅力で、私だってそこに惹かれている。
ただ彼らより姿かたちの美しい人も、歌やダンスや演技の才能に優れた人もたくさんいるだろう。
いくら贔屓目に見てもそれは事実だと思う。
かつてアンチジャニーズだった私は、そんな不完全なものに対してそこまで価値を見出だすことができなかった。

でも彼らはジャニーズアイドルとして多くの関心を集め、色々な媒体に自分をさらし常に衆人環視の状態に置かれていることで、否応なくその内面も関心の対象となる。
完成形だけを提示するのではなく、ある意味人生や生き方というかその過程も切り売りすることで成立している存在だと思う。
それが真実の姿か虚構かはまた別として、その人間としての側面や過程がそれぞれのファンを魅了している部分は一面としてあるのではないだろうか。
人目を引くからにはルックスも才能も必要だけど、それさえあれば良い世界ではない。
アンチジャニーズだった私が沼に堕ちて知った 、ジャニーズアイドルの魅力のひとつはそこなのかもしれないと思っている。

ただ正直、ファンなんてやめてしまった方が色んな意味でやっぱり楽だとは思う。
ブログの冒頭で言った通り、どんなに気持ちを傾けたところで転職に有利な資格が手に入るわけでもなく、彼らが結婚してくれるわけでも老後の面倒をみてくれるわけでもないことに変わりはない。
それを無駄と思うかは別として、なんと実体のないものに時間とお金を費やしていることかとは今でも思う。
信じるということは絶対の約束にはつながらないこともイヤというほどわかってしまった。
というか、彼らの今後が順風満帆だとしてもそうでなくても、まずこれからの自分の気持ちすら全く信用できない。
アンチジャニーズのまま一生を終えると思っていた私がいまこんなことになっているのだから、反対にいつどんなきっかけで夢から覚めてしまうかもわからない。
本当に、絶対などないのだから。

それでも、私は彼らが進むこれからを目にしたいと思うし、絶対のものではないからこそ「信じる」ことには価値があるのだろうといまは思う。

この先彼らに自分に、どんな未来が待っているかはわからないけれど、この気持ちが続く限り私は彼らを信じ、見つめ続けたいと思っている 。



もしここまで読んでくださった方がいたとしたら、こんな長々とした駄文に長時間を割いて頂き、本当に感謝の言葉しかないです。
もしかして不愉快に感じてしまった方がいるのではないかと、それだけが心配です。

自分の気持ちを知ってもらうことは恥ずかしかったり勇気が要ったのですが、この10年をこれでも簡単ではあるけどしっかりと振り返ることができて、いまとてもスッキリしています。
こんなこと、充電期間という状態でもなければやろうと思わなかったことでしょうから、そういう意味でもなんというか皮肉だけど良いタイミングだったのかな、と思っています。

今後は過去も含めて色々なKAT-TUNの歩みを振り返りつつ、現在の彼らを応援しながら再出航を楽しみに待ちたいと思います。
きっとあっという間!



本当にありがとうございました。