絶対などない

~アンチジャニーズがKAT-TUN沼にはまって11年たちました~

デビュー 6→5→6

KAT-TUNのCDデビューが2006年3月22日と発表され、そのデビュー日に先駆けた3月17日に東京ドームで『KAT-TUN SPECIAL TOKYO DOME CONCERT Debut "Real Face"』が行われることとなり、例のジャニヲタ先輩にチケットを譲っていただいた私はおっかなびっくり行くことを決意した。
ジャニーズのコンサート、これまでWSなどでその一種独特な雰囲気を見かけるたびにやや白い眼で見ていた身としては正直とてつもなく敷居が高かったが、なんだかもう我慢できなかったのだ。

ジャニヲタ先輩にうちわとペンライトはどうするのかと聞かれできればどっちも遠慮したかったが
「何も持ってなかったら周りのファンに殺されるよ?」
と脅され、恐怖のあまりペンライトを選んだ(うちわはどうしても抵抗があった )。
…結果的には、そんな雰囲気ではなかった 。
「あと、振りつけ練習しときな。できてなかったらヤられるよ?」
とも言われ、ブルッたものの結局完璧にこなせないままだったが、…別にそんな雰囲気でもなかった。
なんだったんだジャニヲタ先輩。

ともあれスタンドからはやっと個人が識別できるかどうか程度の遠く離れた距離でもあり、まだ亀梨くんしかよく知らない私にはわからないネタのようなものも満載だったのですべてを堪能するまでには至らなかったと思うが、それでもとにかく
「亀ちゃん生きてる…!動いてる…!!ほんとに存在するんだ…」
と涙が出そうになり、そしてそれだけで満足だった。

そうして迎えたKAT-TUNのデビュー、それはそれは華々しいものだった。
TV、雑誌、色んな媒体でKAT-TUNを見ない日はなく、今より音楽番組も豊富にあったこともあり彼らは連日連夜出まくっていて、追いかける方も大変だった。
私でさえそうなのだから当然本人たちは余程大変だったと見えて、時にTVで見かける彼らは目がうつろだったり顔がむくんでいたり隈が目立っていたり笑顔の中にも疲労が隠せないようなときもあって、心配になることもあった。

TVやマスコミも異例とも思える対応・評価をしていて、ファンとしてうれしい反面、まだファンになって数か月の私が言うことではないかもしれないが、冷静に見てその評価と実際が追い付いていないというか、正直そこまでか…?というような気もしてしまったりした。
なんだか「無理やり似合わない服を着させられている」ような感じを受けて、もっと身の丈にあったプロモーションにしてあげればいいのに、と思った。

ともあれ露出が多いことは単純にうれしいことではあり、そんな狂乱のデビュー前後の余韻をまだ残したまま2枚目のシングルが発売され、 亀梨くんが月9に起用されるなど今後もグループとして順調にキャリアを築き上げていくものと思われたデビューから約半年後の2006年10月 。
突然、赤西くんがロサンゼルスへの語学留学のため無期限で芸能活動を休止する、と発表された。

まさに青天の霹靂だった。
「6か月を目安に」とは言うものの「無期限」と いう言葉の不確定さ、「脱退は頭にない」としながらも「戻ってくるかは状況次第」というコメントとともに、私には事実上の脱退、と受け取れた。
デビュー直後、グループとして人気絶頂のいま、なぜ。
ジャニーズアイドルとしては前例のないこの事態にマスコミなども大きく取り上げ、好き勝手に憶測を並べ立てた。

折しも発表翌日から主演ドラマがスタートするということで番宣のため生出演していた亀梨くんが騒ぎを陳謝することとなり、見ていてとても胸が痛んだ。

赤西くんに対してはグループの一員としての愛着以外のものはあまりなく、というか当時は亀梨くんにしか関心のない私だったので正直言ってそれ自体にはさほどの感情はなかったが、人気・実力とも客観的に見てグループとしてのパワーダウンは否めず、2トップの片割れであった亀梨くんのことがとにかく心配でたまらなかった。
日々週刊誌などが伝える元気のない様子に気を揉み、共演していた聖くんが亀梨くんを支えているような様子が本当にありがたいと思った。

思えば、私にとって亀梨くんが点や面、かっこよさにただキャーキャー騒ぐだけの存在からその内面に抱えるもの、歩いていく方向まで気にする存在に変わったのはこれがひとつのきっかけだったのだろうと思う。

年が明け2007年、5人で初となるツアーが発表され、私は初めて地方遠征、多ステデビューすることにした。
それまで友達がそうしているのを見て(ジャニ ーズ以外)「え、曲目同じなのに何回も入るの?しかも高い交通費を払ってまで地方へ?…理解できん」と思っていた私だったが、いざ自分がその中に入ってみると何回でも見たいと思うのは当然の気持ちだったし、広大な東京ドームではなく少しでも近い地方会場で、応援する気持ちを伝えたかった。

ジャニーズコンサートにはつきものの「魔の当落確認」もこの頃初めて経験した。
当落発表の日、一緒に行くやはり元ジャニーズアンチで同時期に亀梨くんにハマった友人(デビューコンでジャニヲタ先輩の知り合いの知り合いとして紹介してもらい仲良くなった)と待ち合わせて静かめの店に陣取りドキドキしながらいざ電話、となったとき友人が携帯電話ではなく間違えてウーロン茶のジョッキを耳に当てたのをいまだ覚えている。そのくらいお互い訳もなく緊張していた。
…まさか、全くつながらないとは思っていなかった。

無事にチケットも取れ向かった地方公演、いま手元にあるチケットによるとアリーナ席で、おそらく肉眼で亀梨くんを見たのはこれが初めてだったと思うが、なぜか全く記憶にない。
この時の私の記憶に残っているのは、上田くんだ。
当時の上田くんといえばクールキャラというのか、口数は少なく笑顔もそれほど多くなく、ファンに媚びるようなタイプではない、どちらかといえばツンとしている印象だった。あくまで 亀梨くんしか見ていなかった私の中でだけれど 。
なのにアリーナトロッコで回ってきた上田くんはトロッコから身を乗り出してファンに少しでも近づくように隅々まで手を振り、眉を寄せたその表情は「必死」とも取れるようなものに感 じた。

実際にはそのコンサートパンフレットの撮影のため訪れたニューヨークで赤西くんとメンバー の話し合いがもたれおそらくツアーが始まる頃には途中から赤西くんが合流することは決まっていたのだろうから、上田くんのその表情はきっと私の思い込みに過ぎず、そもそも元から上田くんはそういうファンサービスをしっかりやるタイプだったのを私が気にしたことがなかっただけなのかもしれないけど、ともあれそんな上田くんの様子に勝手に胸を突かれた私は、そこで初めて彼らが「亀梨くんと彼が所属しているグループ」ではなく亀梨くんを含めた「KAT-TUN」というグループであることを認識し、これからはグループとしてちゃんと応援して行こう 、彼ら5人を丸ごと支えて行こう、という思いを新たにした。

なので、そんな決意を固めた直後、留学からきっちり6か月経って赤西くんが帰国し、再び6人で活動していく、となったことは私にとって喜びよりもまず戸惑いの方が大きかった。

いま考えれば当然のことなのだけど、仙台公演でアンコールよりも仁コールの方が大きく沸き起こったのもまるで5人が赤西くんの前座みたいで複雑だったし、東京ドームでも大歓声をもって迎えられる赤西くんに、少し面白くない気持ちになったりした。
聖くんが主演したドラマの主題歌として先行して流れていた5人で収録した「喜びの歌」とシングルとして発売された6人でのものを比較して、「カラオケにようやくヴォーカルが入った」などと言う一部の赤西担の発言に腹も立てた。

でも、メンバーが6人での活動を喜んでいることを表現していたし、本心はどうあれグループにとってこれがベストと決めたのは5人なのだし。
「これでやっと全員が同じ気持ちでスタートラインに立てた」と言ったのは亀梨くんだっただろうか。
何より赤西くんの歌やトークの才能、存在感はやはり素晴らしいものだったし、彼自身もチャ ーミングで魅力的な人だったから、次第にそんな気持ちも薄れ、このまま6人でのKAT-TUNを応援して行こう、応援して行けると思っていた。

これから以降は、メンバーが減っていく過程を描くので楽しいことはあまり書けないかも、です。(これまでも楽しい話なんてあった?ってハナシですが)
まだ傷口がじゅくじゅくしている方にはオススメできないかも…です(-_-;)