絶対などない

~アンチジャニーズがKAT-TUN沼にはまって15年たちました&ときどき趣味のブログ~

4→3

タイトル通り、ごく最近の話なのでご存じの方には特にエピソード的に目新しいことは書いてないです。
ただ当時、自分の気持ちをちゃんと整理して消化することが出来なかったので、区切りとして書いておきたく…
なのでちょっと重たいというかエモいかもです…(;゜∀゜)



4人になったKAT-TUNはまた少し方向性を変えて、年齢とともに大人っぽい曲も多く手掛けるようになった。
好みの問題として私にはそれは歓迎すべきことだったし(この期に及んで言うのもなんだけど、そもそも当初のようなゴリゴリのジャンルはKAT-TUNが歌うのでなければあまり好きではなかった)個々のヴォーカル力をあげた4人のKAT-TUNは意外なほどバランスが良いと感じた。

それは偶然そうだったわけでなくそう見えるように彼らや周囲のスタッフが緻密な計算のもと演出したものだったと思うけれど、ともあれ音楽性だけでなくメンバーの脱退をおそらく意識して自虐的な笑いに変えてイジらせたりするのも最初はぎこちなかったものの段々板についてきて、6人から5人になったときと比べて格段に強くなった彼らを感じたし、メンバーのその様子や個々の気性を鑑みても、もう絶対に同じことは起こらないと思えた。
確実にチャンスをものにして冠番組もつかみとり、個人仕事も充実していった。
私には不安要素は一切なかった。

人数が少なくなった分それぞれのキャラクターもよりハッキリとしてきて、これまでKAT-TUNをグループとして応援する、とは言っていてもやはりどうしても亀梨くんに集中してしまいがちだった私も結果的に4人それぞれをより深く知ることになり、どのメンバーも本当に大好き!と思うようになった。
そうなるともうテレビを見ていてもLIVEに行っても楽しい。
どの方向を見ても好きな人がいるのだ。常に100%楽しくて、幸せだ。

思えば、私にとってはこの2014年~2015年にかけてが、KAT-TUNを好きになってから一番何の不安もなく幸せで楽しい時間だったかもしれない。

2015年春にたった2公演しか行われなかった「KAT-TUN LIVE 2015 in TOKYO DOME quarter」は4人のKAT-TUNの集大成ともいえるものだった。
初期の頃のKAT-TUNは若さもあってか「自分はこう見せたい」「こうやったらカッコいい」というような意識も強く、それはそれでファンを喜ばせるためという意味では変わりはないわけなのだけど、年齢を経てあるいはこれまでの経験を経てか、より「ファンが何を見たいか」「何を見せたら喜ぶか」という点に視点をおいていることを感じることが多くなってきたように思う。
この公演はそれを本当に実感し、幸せな気持ちになった。
ニュアンスの話なので説明が難しいけれど、ファンからの一方通行でなく、わかってもらってるな、大事にされてるな、というような感じ。

そしてタイトルモチーフにも使われた4分割の円形のように4人の姿はこの上もなく完全なものに思えて、これからもこの形が穏やかに続いていくものと信じて疑わなかった。

だからこのあとアリーナツアーが続くとされていたのが立ち消えになったことも、2015年夏~秋、恒例となると思われた京セラドームでの年末カウントダウンコンサートがなかなか発表されず、ギリギリになって最終的には後輩グループでの発表となったことも、不満ではあったけれど、他のお仕事のスケジュールの都合かな、とか、いま推されてるもんねあそこ、と拗ねるとかそんな程度だった。

そして何の前触れも感じないまま2015年11月24日を迎えた。
テレビ画面の中、あの真っ赤なコートを着た彼らがどこか固い表情でステージに立ったとき、嫌な予感がした。
そして促された田口くんがマイクを持つのをみて、「あ、結婚発表かな?」と前々から少しだけ心配していたKAT-TUNの次の転機が頭をよぎった。

けれど彼の口から出てきたのは、来年の春をもってKAT-TUNを離れ、ジャニーズ事務所を退社する、という嘘のような言葉だった。

自分の顔がサッと冷たくなったのを感じた。
もし鏡を見れば真っ青になっていたのかもしれない。意味がわからなかった。
まって、まって、なんで、なんでこうなっちゃうの。

異様な雰囲気のまま歌う彼らの出番が終わると、もう続きを見ることはできなかった。

翌日からはもう私も周りも感情の波にのまれた 。
その1か月ほど前からいまさらTwitterをはじめたばかりの私は自分にとって有益な情報とそうでない情報をより分けることもまだできず、毎日見も知らぬ他人の感情の余波をもろに受け続けたのも良くなかった。

私にとって何が一番ショックだったかってもちろん大好きな田口くんがいなくなってしまうという現実だけれども、多分それよりつらかったのは、こうなるまで自分が何の気配も感じることができなかった、 彼らが感じさせなかったことだったと思う。
それは彼らのプロ意識であったり、できればファンに何も感じさせないまま何事もなかったように事態を収束させられれば、と思う気持ちだったと思うし、全くそれは彼らが正しいのだけど、それはわかっていながらも余りにも完璧だったその態度にどこか疎外感のような、嘘をつかれていたような、裏切られたような気持ちになった。
いま思えば何の疑いももたなかったぶん感じた衝撃の、八つ当たりに過ぎなかったのかもしれないけれど。

それに田口くんがそんなことを言い出すなんて、私にとっては他の誰より想定外だった。
アイドルという仕事を天職だと語り、他のメンバーがやっているどんな仕事もやってみたいと目を輝かせ、いつだって楽しそうな笑顔をふりまいていた田口くんが、実はそんなことを考えていたなんて。

これまでとても近しく思っていた彼らが実は遠く離れた儚い虚構の存在にすぎないことをまざまざと思い知らされ、彼らの内側に立ち入ることなんて許されない私たちは、仮にこの先田口くんを除いた3人でがんばる、信じてくれと言われて活動を続けて行ったとしても心のどこかで、内心では裏側では何が起こっているのかわからない、いつまたそんなことが起こるかわからない、そんな目で見てしまうのではないかと思った。
そんな自分がつらかった。

やっぱり芸能人なんて好きになるもんじゃなかった、お金と時間を使ってわざわざこんな思いをするって。もうこれが潮時なのかもしれない、離れるまではいかなくとも、少し距離を置こうか…なんていう思いもよぎった。
でも、目の前にいる彼らから目を反らすこともできなかった。

そしてそのまま田口くんが脱退する「春」に向けて4人のままで活動を続けるという、「不思議な時間」を過ごすことになった。
それについては賛否両論あったけれど、もしかしたら契約問題等諸々解決してから脱退間際に発表でもよかったかもしれないところ、これまで脱退したメンバーのときには全てが終わってからの発表でお別れする時間も与えられなかったファンの気持ちを考えての早めの発表にしてくれたのかもしれない、と思ったりもした。

でもその一方で、目の前に変わらぬ笑顔と全力のパフォーマンスで存在し続ける田口くんに対して、相変わらず完全体に思える4人を見て、どういう感情を持ったらいいのか、戸惑いが消えなかった。

これまではそれ以前のKAT-TUNをなかば封印して新しい形だけを見るようにしてその都度やり過ごしてきた私だったけれど今回はそれができず、箱が半分開いたようなおかしな感じで過ごすことになり、田口くんへ向ける感情も日々あっちにかたむいたりこっちにかたむいたりしていた。
だからその頃の私のツイートはコロコロとスタンスが変わっておかしなことになっていたかもしれない 。
正直、いまでも田口くんに対してはその答えがしっかり見つけ出せてはいないと思う。

これまでの脱退と異なる点として前触れがなかったことに加え、田口くんが脱退する理由がいまひとつはっきりしないことがあった。
本人が口にする理由のほかにマスコミも色々なことを書き立てたけれどそのどれかに真実があったのかなかったのかわからないし、脱退してもうすぐ4か月が過ぎようとしているいまになっても、時々第三者のインスタグラムなどに登場する田口くんが何をしていて、これから何をしたいのかは、結局わからないままだ。

そしてこれまでは脱退が発表されると同時に残るメンバーでの活動が合わせて発表され、気持ちはどうあれ進むべき方向性が示されていたけれど今回はそれがなく、「春」以降グループ自体がどうなるのか不透明だった。
メンバーもそれまでの脱退ではファンを安心させるような力強いメッセージだったり決意を表明することが多かったけれど、それに比べると今回発表があったあとは発表以前が嘘のように弱気ともとれる言葉や戸惑い迷う気持ちを見せることもあり、それまでとは状況が異なることを感じさせた。

不安なまま年が明け2月、3人で4月からドームツアーを行うことが発表されようやく今後の活動の方向性が示されたと喜んだのもつかの間、その数日後にはそのツアーをもって期限を設けず充電期間に入るという発表がされた。

グループとして活動休止するのだから当然ではあるけれども、やっとつかんだ冠番組もつぎつぎ終わりが発表され、スポンサー契約もなくなり、悲しい寂しいという言葉では言い表せない気持ちになったけれど、この頃の自分がどういうスタンスでいたのか、たった数か月前のこと だというのに実はあまり覚えていない。
たださすがに脱退発表直後のショックからは立ち直り、涙腺はユルめながらも少しは冷静にものごとを見ていたような気がする。
あまりにも長く続くこの状態に、慣れというのか麻痺というのか、そういう感じだったのかもしれないけれど。


そしてひとつひとつ冠番組が最終回を迎えて行き、とうとう田口くんがKAT-TUNとして活動する最後のミュージックステーションの日がやってきた。
4人で最後の「Real Face」、そしてセットが変わるとそこには田口くんの姿はなく、3人での「君のユメ ぼくのユメ」。
途中上田くんの目から涙がこぼれたのを見たとき、私もこらえきれず泣いた。 5人になった時も4人になった時も泣かなかった上田くん。どんな気持ちで涙を流したのだろう 。

テレビの中の笑顔の田口くんには、もう会えないんだと思った。


KAT-TUNは3人になった。



と、思ったその数日後、わりとアッサリ笑顔の田口くんがインスタグラムに登場したんですけどね…(;・∀・)

6→5→4

ここのカテゴリーはできるだけサクサクと行こうと思います。
楽しかったこともたくさんたくさんあったのですが、それを書いていると10年経ってしまいそう…と思ったらほんとに脱退の話ばかりになってしまって申し訳ないです…

決して記憶がもう曖昧だからじゃないです…ほ、ほんとです(;゜∀゜)



赤西くんが復帰してからのKAT-TUNは、世間的には正直言ってデビュー当時に期待されていたほどの勢いはなかったかもしれないけれど、反面彼らにも余裕が出てきたのか以前のような「着せられている感」は失せ、クオリティとしてはますます高まっていった。
ドラマ、舞台、ソロコンサート。メンバーそれぞれの活躍の機会も増えグループとしても東京ドーム連続公演記録をつくるなど順風満帆で、私としても大忙しながら本当に楽しい日々だった。

なのにまた数年後、不穏な空気が漂い始めた。
それまでも自由な雰囲気が持ち味な赤西くんだったけれど、留学後合流した時と比べグループ活動時の様子や態度が、無視できないほど変わってきていた。

いま思えば彼は彼で私にははかり知れない葛藤を抱いていたのだろうし、もしかすると彼なりの何らかのSOSであったのかもしれないし、そんな時でもパフォーマンスの時には手を抜く様子はなかった。
でもそんな様子を見てそれぞれのファンも気にしたり批判したり色々で、当時の私もやる気なさげにも見える態度にやきもきしたりイライラしたりして、正直グループ活動を見ているのがつらいようなときもあった。

そんな中2010年のツアーは、赤西くんがアメリカでのソロ公演を理由に不参加、5人だけで行われると発表された。

色々言いつつも前回の留学時と比べ数年の月日を赤西くんがいるKAT-TUNと過ごしてきた私もショックでないわけはなかったが、初日を迎えた新潟で聖くんが
「幕が開いたら、お客さん誰も来てくれてねぇんじゃないかと思ってた」
と冗談交じりにでも多分本気でつぶやいたのを聞けば 、5人の方を支えなければという気持ちが先に立って、そんな気持ちは奥底に押し込めた。

そしてツアー途中の7月16日、とうとう赤西くんの正式脱退が発表された。
その日は2010年ツアーの東京ドーム公演初日で 、私は胸がつぶれそうな思いで記者会見後の彼らに会いに東京ドームに向かった。

この公演でも彼らは完璧なパフォーマンスをしたけれど、やはり最後には声援を送るファンに対して感情があふれたのか、聖くんも田口くんも中丸くんも泣いていた。
亀梨くんも3人に比べたらはっきりとした涙を見せることはなかったけれど、前髪をかき寄せてうるんだ瞳を隠していた。
そんな中でも、上田くんは涙をみせなかったと思う。なんだったら薄く微笑みを浮かべて手を振ったり挨拶をしていたような記憶があって、私としてはそれが少し意外に感じて印象に残っている。 もちろん彼が何も思わなかったわけではなく、 きっと自分の感情を表現するよりも不安に揺れるファンを安心させたいという前向きな責任感のようなものだったのだろうと思う。

公演の最後、これまではメンバーだけがステージ上で手をつないでファンは声だけで
「We are KAT-TUN!」
とやっていたところで、亀梨くんが
「今日はさ、客席もみんな手をつないじゃわない?」
と突然思いついたように言い出し、急きょ客席でも隣になった知らない人同士みんなで手をつないで会場全体で
「We are KAT-TUN!」
と叫んだ。
泣き崩れている人ももちろんいたけど、とても心地よい一体感だった。
多分ここから、KAT-TUNコンでいまも続くこの習慣が始まったのだろうと思う。

こうしてKAT-TUNは5人となり、音楽的には単純に人数においてもそれ以外の面にしてもやはり厚みや迫力において劣るところがあったのかもしれないし表面的には以前のゴリゴリしたハードな感じよりもややポップで爽やかな曲調も多く手掛けるようになり、そんな変化は世間的にも色々言われたりしたしファンの中にも不満を感じる人もいたかもしれないけれど、6人時代の音源もろもろに触れることがなくなっていた私にとっては比較することもなかったせいか全く気にならなかった。

この時立ち位置が一番変化したのは聖くんだったように思う。
彼らは彼らなりに5人でのスタイルを模索している様子が感じ取れ、グループ内の雰囲気はむしろよくなった感じがしてコンサートMCもみんなのお父さんのようなツッコミ役の聖くんを中心とした素直に楽しめるものになり、
「もう絶対に悲しませない」
という彼らの言葉を私も信じ、ますますKAT-TUNを応援して行きたいという気持ちが高まった。
バラエティ番組にも多く挑戦するようになり、 カラーを少し変えつつ新たな活躍の場も広がっていった。
東日本大震災の影響で1年ツアーが飛んでしまったのは残念だったけれど、あまりにも大きな出来事を経て彼らもアイドルという自分たちの存在に対する意識をいっそう新たにしたように思え、このまま新たな形で進んで行けると思っていた。

それなのに数年後、またしても雲行きが怪しくなってきた。
聖くんの個人仕事が明らかに減りやがてなくなり、グループでのツアー予定も一瞬公式発表されたもののすぐに削除されたりして、水面下で何かが起こっていることを感じさせた。
並行して聖くんの素行面での「やんちゃ」という言葉では片づけられないようなあれこれがネットなどを中心に伝わってきていて、もしかしてこのせいで謹慎になっているのかな、と思っていた。
謹慎、つまり反省して改善すればいずれ解けるものだと。

けれど私の予想を大きく上回って2013年10月、ファンクラブからの突然のメールで聖くんがジャニーズ事務所契約解除及びKAT-TUNの脱退となったことを知らされた。
デビュー後のしかも稼ぎ頭といえるグループのメンバーが何か法に触れるような問題を起こしたわけでもないのに契約解除になるのは全く異例のことで、逆にそれだけ問題の大きさを感じさせた。

私はと言えば今回は本当にショックだった。
赤西くんに関しては明らかにやりたいことの方向性が違っているのだろうことが見てとれて、悲しいことではあったけど、それで本当にそれぞれが望みどおりの道に進めるならばいいではないかと自分を納得させた気持ちもあった 。
でもそんな出来事を経て5人となってからのKAT-TUNを暑苦しいくらいの愛情表現で結びつけてくれているのは聖くんだと思っていたし、彼がファンに対して日課のように口にする言葉も、甘くてアツくてこそばゆい思いもしながらその気持ちを、彼の示すKAT-TUNの未来を信じてもいた。
だからこうなって裏切られたような気持ちになったり、でも一方で何か理由があったはず、とかばう気持ちも生まれ、なかなか感情がまとまらなかった。

いまにして思えば、やっぱり彼のどの言葉にも嘘があったわけではなかったと思う。
ただ彼は愛したがり愛されたがりな人で、KAT-TUN以外の何事も結局どれも捨てることができなかったのではないだろうか。
私の勝手な思い込みだけど。

ともかくこんな異例の事態に、正直意外なほどマスコミは大きくこのことを取り上げた。
スポンサー契約もそうだし、KAT-TUNというグループの世間に与えるイメージにも大きく影響があったと思う。

偶然なのかそうでないのか、翌日はまたしても亀梨くんが主演ドラマの番宣のために一日番組ジャックをする日で、生出演の場で亀梨くんがまだ報道が出揃わないなか事情説明と謝罪を行うことになった。
言葉を選び、ときに涙をこらえるように話すその姿を見て、なぜ彼がと思うとやるせなくて、泣いてしまった。
数日後のシューイチでは中丸くんも謝罪とともに自分の言葉で力強いメッセージを送ってくれ、その場で年末の単独カウントダウンコンサートを行うことが4人からVTRで発表されもう彼らは前を向いているという気持ちの表明に、私を含め多くのファンが救われたと思う。
だから私もこうしてはいられないと5人時代の思い出は封印し、前を向いて4人の彼らについていこうと思った。

こうして、KAT-TUNは4人になった。

デビュー 6→5→6

KAT-TUNのCDデビューが2006年3月22日と発表され、そのデビュー日に先駆けた3月17日に東京ドームで『KAT-TUN SPECIAL TOKYO DOME CONCERT Debut "Real Face"』が行われることとなり、例のジャニヲタ先輩にチケットを譲っていただいた私はおっかなびっくり行くことを決意した。
ジャニーズのコンサート、これまでWSなどでその一種独特な雰囲気を見かけるたびにやや白い眼で見ていた身としては正直とてつもなく敷居が高かったが、なんだかもう我慢できなかったのだ。

ジャニヲタ先輩にうちわとペンライトはどうするのかと聞かれできればどっちも遠慮したかったが
「何も持ってなかったら周りのファンに殺されるよ?」
と脅され、恐怖のあまりペンライトを選んだ(うちわはどうしても抵抗があった )。
…結果的には、そんな雰囲気ではなかった 。
「あと、振りつけ練習しときな。できてなかったらヤられるよ?」
とも言われ、ブルッたものの結局完璧にこなせないままだったが、…別にそんな雰囲気でもなかった。
なんだったんだジャニヲタ先輩。

ともあれスタンドからはやっと個人が識別できるかどうか程度の遠く離れた距離でもあり、まだ亀梨くんしかよく知らない私にはわからないネタのようなものも満載だったのですべてを堪能するまでには至らなかったと思うが、それでもとにかく
「亀ちゃん生きてる…!動いてる…!!ほんとに存在するんだ…」
と涙が出そうになり、そしてそれだけで満足だった。

そうして迎えたKAT-TUNのデビュー、それはそれは華々しいものだった。
TV、雑誌、色んな媒体でKAT-TUNを見ない日はなく、今より音楽番組も豊富にあったこともあり彼らは連日連夜出まくっていて、追いかける方も大変だった。
私でさえそうなのだから当然本人たちは余程大変だったと見えて、時にTVで見かける彼らは目がうつろだったり顔がむくんでいたり隈が目立っていたり笑顔の中にも疲労が隠せないようなときもあって、心配になることもあった。

TVやマスコミも異例とも思える対応・評価をしていて、ファンとしてうれしい反面、まだファンになって数か月の私が言うことではないかもしれないが、冷静に見てその評価と実際が追い付いていないというか、正直そこまでか…?というような気もしてしまったりした。
なんだか「無理やり似合わない服を着させられている」ような感じを受けて、もっと身の丈にあったプロモーションにしてあげればいいのに、と思った。

ともあれ露出が多いことは単純にうれしいことではあり、そんな狂乱のデビュー前後の余韻をまだ残したまま2枚目のシングルが発売され、 亀梨くんが月9に起用されるなど今後もグループとして順調にキャリアを築き上げていくものと思われたデビューから約半年後の2006年10月 。
突然、赤西くんがロサンゼルスへの語学留学のため無期限で芸能活動を休止する、と発表された。

まさに青天の霹靂だった。
「6か月を目安に」とは言うものの「無期限」と いう言葉の不確定さ、「脱退は頭にない」としながらも「戻ってくるかは状況次第」というコメントとともに、私には事実上の脱退、と受け取れた。
デビュー直後、グループとして人気絶頂のいま、なぜ。
ジャニーズアイドルとしては前例のないこの事態にマスコミなども大きく取り上げ、好き勝手に憶測を並べ立てた。

折しも発表翌日から主演ドラマがスタートするということで番宣のため生出演していた亀梨くんが騒ぎを陳謝することとなり、見ていてとても胸が痛んだ。

赤西くんに対してはグループの一員としての愛着以外のものはあまりなく、というか当時は亀梨くんにしか関心のない私だったので正直言ってそれ自体にはさほどの感情はなかったが、人気・実力とも客観的に見てグループとしてのパワーダウンは否めず、2トップの片割れであった亀梨くんのことがとにかく心配でたまらなかった。
日々週刊誌などが伝える元気のない様子に気を揉み、共演していた聖くんが亀梨くんを支えているような様子が本当にありがたいと思った。

思えば、私にとって亀梨くんが点や面、かっこよさにただキャーキャー騒ぐだけの存在からその内面に抱えるもの、歩いていく方向まで気にする存在に変わったのはこれがひとつのきっかけだったのだろうと思う。

年が明け2007年、5人で初となるツアーが発表され、私は初めて地方遠征、多ステデビューすることにした。
それまで友達がそうしているのを見て(ジャニ ーズ以外)「え、曲目同じなのに何回も入るの?しかも高い交通費を払ってまで地方へ?…理解できん」と思っていた私だったが、いざ自分がその中に入ってみると何回でも見たいと思うのは当然の気持ちだったし、広大な東京ドームではなく少しでも近い地方会場で、応援する気持ちを伝えたかった。

ジャニーズコンサートにはつきものの「魔の当落確認」もこの頃初めて経験した。
当落発表の日、一緒に行くやはり元ジャニーズアンチで同時期に亀梨くんにハマった友人(デビューコンでジャニヲタ先輩の知り合いの知り合いとして紹介してもらい仲良くなった)と待ち合わせて静かめの店に陣取りドキドキしながらいざ電話、となったとき友人が携帯電話ではなく間違えてウーロン茶のジョッキを耳に当てたのをいまだ覚えている。そのくらいお互い訳もなく緊張していた。
…まさか、全くつながらないとは思っていなかった。

無事にチケットも取れ向かった地方公演、いま手元にあるチケットによるとアリーナ席で、おそらく肉眼で亀梨くんを見たのはこれが初めてだったと思うが、なぜか全く記憶にない。
この時の私の記憶に残っているのは、上田くんだ。
当時の上田くんといえばクールキャラというのか、口数は少なく笑顔もそれほど多くなく、ファンに媚びるようなタイプではない、どちらかといえばツンとしている印象だった。あくまで 亀梨くんしか見ていなかった私の中でだけれど 。
なのにアリーナトロッコで回ってきた上田くんはトロッコから身を乗り出してファンに少しでも近づくように隅々まで手を振り、眉を寄せたその表情は「必死」とも取れるようなものに感 じた。

実際にはそのコンサートパンフレットの撮影のため訪れたニューヨークで赤西くんとメンバー の話し合いがもたれおそらくツアーが始まる頃には途中から赤西くんが合流することは決まっていたのだろうから、上田くんのその表情はきっと私の思い込みに過ぎず、そもそも元から上田くんはそういうファンサービスをしっかりやるタイプだったのを私が気にしたことがなかっただけなのかもしれないけど、ともあれそんな上田くんの様子に勝手に胸を突かれた私は、そこで初めて彼らが「亀梨くんと彼が所属しているグループ」ではなく亀梨くんを含めた「KAT-TUN」というグループであることを認識し、これからはグループとしてちゃんと応援して行こう 、彼ら5人を丸ごと支えて行こう、という思いを新たにした。

なので、そんな決意を固めた直後、留学からきっちり6か月経って赤西くんが帰国し、再び6人で活動していく、となったことは私にとって喜びよりもまず戸惑いの方が大きかった。

いま考えれば当然のことなのだけど、仙台公演でアンコールよりも仁コールの方が大きく沸き起こったのもまるで5人が赤西くんの前座みたいで複雑だったし、東京ドームでも大歓声をもって迎えられる赤西くんに、少し面白くない気持ちになったりした。
聖くんが主演したドラマの主題歌として先行して流れていた5人で収録した「喜びの歌」とシングルとして発売された6人でのものを比較して、「カラオケにようやくヴォーカルが入った」などと言う一部の赤西担の発言に腹も立てた。

でも、メンバーが6人での活動を喜んでいることを表現していたし、本心はどうあれグループにとってこれがベストと決めたのは5人なのだし。
「これでやっと全員が同じ気持ちでスタートラインに立てた」と言ったのは亀梨くんだっただろうか。
何より赤西くんの歌やトークの才能、存在感はやはり素晴らしいものだったし、彼自身もチャ ーミングで魅力的な人だったから、次第にそんな気持ちも薄れ、このまま6人でのKAT-TUNを応援して行こう、応援して行けると思っていた。

これから以降は、メンバーが減っていく過程を描くので楽しいことはあまり書けないかも、です。(これまでも楽しい話なんてあった?ってハナシですが)
まだ傷口がじゅくじゅくしている方にはオススメできないかも…です(-_-;)

アンチがKAT-TUN沼にハマるまで

KAT-TUNを好きになる前、私はアンチジャニーズだった。
というか、前提としてそもそも芸能人に入れ込む気持ちがよくわからなかった。
もちろん私だってイケメンは大好きだし男女問わず好きなアーティストや俳優もいた。
でもそれはその人が生み出す作品やその役だったり瞬間が好きなだけ、いわば「点」や「面」だけを見ているようなもので、その「人」をまるごと愛するようなものではなく、仮にその人が消えたところで多少はショックを受けるかもしれないがそれまで、程度。
だってそこまで気持ちを傾けたところで、転職に役立つ資格が手に入るわけでもなければ彼らが結婚してくれるわけでも老後の面倒をみてくれるわけでもない。無駄である。
…なんてことを当時ちゃんと考えていたわけでもないと思うが、いま言語化するならそんな気持ちだったと思う。我ながら乾燥しているな。

なかでもジャニーズのアイドルなど、歌にしろ演技にしろトークにしろ、突出した才能があるわけでもないのにただルックス(それも絶世の 、ではない)と事務所の強大さでヨイショされているだけのチャラチャラした人たち、そんなものに本気で情熱を傾け、自分の時間やお金を費やすなど、若い子かでなければイタい人だ。

というとんでもない偏見と冷めた考えを持ったままジャニーズにハマることもなくアラサーになり、もう自分の人生にジャニーズがかかわってくることなど絶対にない、と思っていた。

そんな私がふとしたきっかけで亀梨和也、そしてKAT-TUNという沼にハマりそしていまもそのまま深く浸かり続けているという自分でも驚くこの10年を、充電期間というこの機会に振り返ってみたくなった。
走り続けている間は落ち着いて振り返る暇もなかったが、グループとしては一時休業している今だからこそ、改めて見つめなおすのもよいのではないかと。

ただ全くそんな予定もなかったので記録等もとっていず、完全に自分のぼやっとした記憶(しかも私は色々とゆるい)に頼っているだけの雑記なので、所々不確かだったり誤っているところがあるかもしれない。(完全におかしいぞというところがあればコッソリ教えて頂けたらうれしいです)
また、私という人間のフィルターを通した当時の出来事、に過ぎないので、人によっては不快に感じさせてしまうのではないかと危惧している。
ただそのときはそう思った、というのをできるだけありのまま書き記したかったので、できればその点は大目に見て頂けたら、と思う。

さて話は2005年当時に遡るが、前述のようにジャニーズアイドルに全く関心がなかった私はデビュー前のジャニーズJr.だった彼らのことなど当然知る由もなく、ごくせん2で亀梨くんと赤西くんが世間の注目を集めていたことも全く知らないままだった。
というか、ごくせんが驚異的な高視聴率をたたき出している、という事実すら知らなかった。テレビ自体さほど熱心には見ていなかったし、視聴率など関心を持ったこともなかったし。
いま思えばその頃オロナミンCのCMで学ラン姿の仁亀を見た記憶があり、おそらくデビュー前のJr.としては破格の扱いだろうことからも当時の彼らに対する注目度が窺えるが、当の私は「ジャニーズ、かな?(チャラチャラしてるなー)」くらいの薄~い感想だったと思う。

そんな私が初めて亀梨くんを認識したのは2005年秋クールの主演ドラマ「野ブタをプロデュース」である。
もちろん亀梨くんがどんな人かも知らず、かといってさすがに知っていた当時NEWSの山下くん目当てだったわけでもなく、テレビ誌か何かの紹介を見てストーリーに惹かれ試しに初回を見たところ単純に面白く続きが気になり、毎週視聴するようになった。

主人公を演じる亀梨くん自身については整った顔立ちをしているとは思うもののそもそも好みのタイプというわけではなかったけれども、ストーリーが進むにつれそのナイーブな演技や明るさの裏に潜む陰の雰囲気に徐々に惹きつけられてしまい、ドラマも後半になるとすっかり「修二」が気になって仕方ないという状況になっ ていた。
それまでドラマにしろ何にしろ「見れたら見る」スタンスだったのが毎週欠かさず録画してまで見るようになり(余談だが録画予約をしようとしたらビデオのリモコンの電池が切れていて使えず、そのくらい何事にも執着していなかったのだと今にして思う)気づけばドラマもろともすっかりハマっていた。

エンディングに流れる「青春アミーゴ」も私のイメージするジャニーズキラキラソング(ちょいちょいトンチキ)ではなく私には妙にハマって、なんならエンディングを聴くために本編を見ているようなところすらあった。
このあたりの時系列がちょっと曖昧なのだけど(ドラマ終わった後かも)とにかく青春アミーゴをちゃんと聴きたいしかも亀梨くんが歌っているビジュアル込みで、と思った私は何らかの手段で修二と彰がTV出演したときの映像を入手して夢中になって見ていたが、HEY×3の座りトークでハキハキとよくしゃべり、ダダすべりしてふにゃふにゃ笑い、ダウンタウン浜田さんに頭をハタかれて「やったー!売れる!」と屈託なく喜ぶ亀梨くんの姿にポカンとしてしまった。
あれ誰。
少なくとも修二という役を通して私が亀梨くんに抱いていたイメージとは違っていたのだ。いい意味で。
いま思えばそこが転機のひとつだったかもしれない。ギャップってやつ?

これまた時系列は曖昧なのだけど、それと前後して亀梨くんのことを知りたくてたまらなくなりネットで検索したところヒットしたファンの方のブログがあって(残念なことに今ではもうそのブログはやってらっしゃらない)多分私より10~20歳年上の方だったと思うのだけどとても愛に溢れたステキな文章を書かれる方で、それをひたすら過去に遡って読むうちに私はその方の視点を通して亀梨くんに堕ちていったのだと思う。感覚の同化というか。

ともあれドラマが終わろうとも一向に私の熱は冷めず、会社の先輩にふと漏らしたのを聞きつけたらしい別部署のジャニヲタ先輩(当時仁担)がいきなり訪ねてきて雑誌の切り抜きをたくさんくれ、辛抱たまらず帰りの電車でコソコソと切り抜きを読んでは胸がドキドキしてため息をつくという、すっかり恋する乙女のような状態になっていた。
キモい。
そんな自分に自分自身戸惑わなかったわけがない。大いに戸惑った。
ちょっと待って、ジャニーズだよ?しかもかなり年下。ていうか未成年。
あ り え ん … 。
周囲の反応にしても学生時代の友人からは「え、大丈夫…?」と真顔で心配され、親友からは 「うわ~勘弁してよ(笑)」と苦笑され、彼氏(私よりアンチ)には当然ものすごく嫌がられた。
当時の私の性格や周りの雰囲気が窺い知れる。

だけどもう止められなくて、少しでもきれいな映像見たさにDVDレコーダーを購入し、ジャニヲタ先輩がくれる過去の少クラを毎日毎日見た。
ちなみにその先輩はジャニーズを追っかけるあまり仕事や人間関係に支障をきたしまくりで悪評が高く、お世話になっておいて申し訳ないことこの上ないけどできれば余り関わりたくないところだったのだが(思えば私や私の周囲のジャニヲタに対するイメージにかなり影響を与えた存在だった。後にして思えば単にパーソナリティの問題だったと思うけど)「しょうくら?…って何??」状態の私では他に話す相手も情報を得る手段もなく、なんていうかもう背に腹は代えられなかった。

そんなこんなで大いに戸惑いつつもKAT-TUN、というか亀梨くんにまみれて過ごしていたある日、朝のWSで突然、KAT-TUNがデビューすると知った。
グループ結成してから5年、当時のジャニーズグループにしては長い下積み(しかもJr.の中では人気絶頂)を経てのデビューは以前からのファンの方々にはやっと、の思いが強かったと思うが、私にとっては沼にハマってからわずか数か月後の予想だにしない展開であり、ここからまた怒涛の日々が始まったのだった。

長いです。長いですねすみません…続きます